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高松高等裁判所 昭和31年(ネ)145号 判決 1957年4月24日

控訴人(被申請人) 株式会社加賀屋商店

被控訴人(申請人) 相原右由 外六名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴会社の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人等の申請を却下する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人等の負担とする。」との判決を求め、被控訴人等代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、

控訴代理人において、(一)凡そ事業の経営権は使用者に存するものであり、経営権は労働者の採用、転勤及び解雇の権利を含んでいるものであるから、使用者は経営上の考慮に基き労働者を解雇し得る権利を有している。即ち使用者は経済状勢の変動その他の理由に基き企業の合理化を図るために、企業の規模を縮小しこれに伴つて労働者を解雇しまたその時期についても任意にこれを決定し得る自由を有するものである。かかる場合その労働者が労働組合の役員であり、または組合活動を行つている者であつても、これを解雇することは何等差支えないところである。(二)控訴会社においては、昭和三十一年当初において、若し製樽部を存続せしめると年間約六百七十三万円の経費を要するのに比し、これを請負制に改めるときは約四百五十二万円にてすむこととなり、右の差額が約二百二十万円に達することが経理上判明していたものである。(三)昭和三十一年一月二十四日招集された控訴会社の臨時株主総会においては、製樽部門の廃止と共に控訴会社の目的中「木工品の製造」を削除する旨定款変更の決議を行つたものである(同年二月七日変更登記)。(四)控訴会社としては製樽部閉鎖を決意する一方昭和三十一年一月二日製樽部従業員に対し事前に交渉を行い、請負制度加入を勧奨し、十分考慮期間を置いたものである。(五)控訴会社においては本件解雇当時製樽部以外の職場には既に十分な人員配置が行われていて、製樽部従業員を受入れる余地がなく、他方製樽部従業員はいずれも多年経験を有する熟練工であつて、その給料も他の一般従業員に比し高額であるため、これを他の職場へ配置転換することは不可能な状態であつた。(六)控訴会社は製樽部閉鎖に伴い同部所属の従業員を一括して解雇し、何等差別待遇を行つて居らず、また製樽部閉鎖直前他の職場より製樽部に転じさせておいてこれを解雇したものでもない。これを要するに本件解雇は企業合理化による製樽部閉鎖に伴う已むを得ない解雇であつて、被控訴人等が労働組合活動を行つたために解雇したものではない。と附陳し、尚仮処分の必要性の点につき、被控訴人大倉康明、同村田喜一、同三木稔は昭和三十一年七月以降花岡昇平漬物製樽所に勤務して八千円乃至一万円内外の月収を得て居り、被控訴人相原右由は同年十一月頃より上崎和男製樽工場に勤務して居り、また被控訴人伊音定夫、同平島幸次郎、同本地行夫はいずれも自宅にて樽桶類の賃加工を行い、夫々生活資料を得ているものであるから、本件仮処分はその必要がないものである。と述べた外原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。

(疎明省略)

理由

控訴会社が醤油味噌の製造販売等を業とする株式会社であり、被控訴人等が控訴会社に雇傭され、その製樽部従業員であつたことは当事者間に争がなく、被控訴人等に対する控訴会社の解雇の成立時期は、当裁判所においても昭和三十一年二月六日と認定するところ、この点に関する判断は原判決理由中一、解雇の成立時期と題する部分と同一であるからここにこれを引用する。

仍て本件解雇がいわゆる不当労働行為に該当し無効であるか否かにつき審按する。

昭和三十年七月十二日控訴会社従業員中被控訴人等を含む八十一名が加賀屋労働組合を結成し、同組合と控訴会社との間に同年九月二十二日より労働協約の締結に関して団体交渉に入り、同年十一月十七日より徳島県地方労働委員会の斡旋が開始され、同年十二月四日に至り、控訴会社と右組合との間にユニオンショップ制及び賃金体系等に関して協定が成立したこと、右労働委員会の斡旋中同年十一月二十七日被控訴人等を含む製樽部従業員のみが十二時間ストを実行したこと並に同月二十九日より数日間被控訴人大倉康明、同村田喜一が訴外平島幸夫と共にいわゆるハンストを実行したことは当事者間に争がなく、成立に争のない疎甲第十二乃至第十八号証、当審における被控訴本人相原右由、同大倉康明、同平島幸次郎各尋問の結果を綜合すれば、被控訴人相原右由は前記組合の交渉委員(五名)の一人として、控訴会社との間の労働協約の締結、ベースアップの交渉等に参加し、また昭和三十年十二月十六日右組合の副組合長に就任し、組合活動を活溌に行つたこと、被控訴人大倉康明は同年十二月二十五日右組合の執行委員に就任し、被控訴人本地行夫は右組合結成時より約二ヵ月間右組合の執行委員をなし、いずれも組合活動を活溌に行つたこと、また爾余の被控訴人等も前記のようにストライキに参加した外右組合の大会に努めて出席し、積極的に発言をなし、組合決議を忠実に実行することに努め、以て一般組合員に比し著しく組合活動を活溌にしていたことを一応認めることができ、右認定を覆えすに足る疎明がない。

他方真正に成立したものと認められる疎甲第五、第六、第七及び第十号証、成立に争のない疎甲第十二及び第二十号証、当審証人田中基常、同板東龜三郎、同平島幸夫の各証言並に当審における被控訴本人相原右由、同大倉康明の各供述を綜合すれば、(一)控訴会社代表者(社長)近藤嘉源太、(イ)徳島県地方労働委員会が前記の如く斡旋中であつた昭和三十年十月二十四日被控訴人等に対し、被控訴人等を含む製樽部従業員が起居していた宿泊部屋を立退いて通勤するよう通告した上、「組合ができて遠慮なく要求してくるのだから、働く人の便利なんか考える必要がない」と放言し、(ロ)被控訴人等が尚組合活動を積極的に続けていると、同年十一月四日製樽部従業員に対し給食を停止する旨通知し、(ハ)更に同年十一月十三日被控訴人相原右由、同大倉康明、同伊音定夫に対し、

「君等が一番組合の先立でやかましいから一人宛順序よく首を切つて行くから心得ておけ」と暴言を吐いたこと、(二)控訴会社は昭和三十年十一月九日頃組合活動を活溌に行つていた組合員川上章外数名に対し抜打的に職場の配置転換を行つたこと、(三)控訴会社は同年九月下旬頃より前記組合の切崩しを策し、重役が組合員の家庭を歴訪したりなどして組合員に対し組合よりの脱退を勧めたこと(組合結成当時組合員の数は前記の如く八十一名であつたところ、昭和三十年十二月頃には約四十名に減少した)等の諸事実を一応認めることができ、控訴会社側は労働組合乃至組合活動に対し十分な理解を有せず、昭和三十年七月結成された前記労働組合を厄介物視し、組合活動を活溌に行う組合員に対し反感を懐いていたことを十分窺うことができる。疎乙第七号証及び当審における控訴会社代表者近藤嘉源太の供述中右認定に牴触する部分は措信できない。

而して真正に成立したものと認められる疎甲第一乃至第三号証、成立に争のない同第十二及び第十九号証、疎乙第七号証の一部、当審証人板東龜三郎の証言並に当審における被控訴本人相原右由、同大倉康明、同平島幸次郎の各供述を綜合すれば、控訴会社においては製樽部の作業場をもろみの仕込場として使用する必要があつたため、昭和三十一年一月二十二日控訴会社代表者近藤社長は被控訴人等を含む製樽部従業員に対し製樽部作業場の一部を南の職場へ移転する旨を伝え且つ新職場への人員配置は部員間で相談の上適当に定める様命じたこと、かくて被控訴人等を含む製樽部員は協議の上南の職場へは五名宛交替で行くこととし、その人員割当を定め、翌二十三日職場移動の準備に取掛つたものであるところ(二十四日は公休日)、同月二十五日朝に至り製樽部の主任であつた黒川三郎が近藤社長に対し被控訴人等が勝手に人員配置を決定し製樽部主任として部員の統制がとれない旨の報告をなしたこと、ここにおいて近藤社長は被控訴人相原右由を呼寄せ、同被控訴人に対し主任を差置いて人員配置を取定めたことを責め且つその人員配置が適当でないことを非難したところ、これに対し被控訴人相原及び同人に従つて来ていた被控訴人大倉康明、同本地行夫等が「何が不都合か」と詰寄つたため、近藤社長は立腹して突如右被控訴人三名に対し「本日限り製樽部を閉鎖する」旨宣言し、被控訴人等を含む製樽部従業員全員を解雇する手続を採るに至つたことを一応認めることができる。

以上疎明される各事実即ち被控訴人等七名はいずれも活溌に組合活動をしていたこと、控訴会社側は活溌に組合活動を行う従業員に対し反感を懐いていたこと、控訴会社は製樽部作業場の一部移転を決定していながらその僅か三日後に突如製樽部閉鎖を宣言し次いで解雇通知をなすに至つたこと等の諸事情を彼此綜合して判断すれば、本件解雇の直接の動機は前記認定の如く製樽部作業場の一部移転に伴う人員配置につき被控訴人相原等の採つた措置を近藤社長が不満としたことに因るものであるとはいえ、被控訴人等を解雇するに至つた決定的な理由は、被控訴人等が是迄活溌に組合活動を推進し来つた者達であり、今後も活溌な組合活動をなし事毎に会社に対抗して来ることが予測されるためこれを排除せんとする点にあつたことを一応推認することができ、乙第七号証の記載内容及び当審における控訴会社代表者近藤嘉源太の供述中右認定に反する部分はやたすく措信し難いところである。

控訴会社は、控訴会社としてはかねてより経営上の理由により製樽部を閉鎖し樽の製造修理を請負制とする方針であつたところ、昭和三十一年一月十日頃開かれた臨時取締役会、同月二十四日招集された臨時株主総会において夫々製樽部閉鎖を決議し、右決議に従い同月二十五日製樽部閉鎖を宣言したものであつて、右閉鎖に基き已むなく本件解雇をなすに至つたものであると極力主張するにつき以下審按する。成立に争のない疎乙第一乃至第七号証、同第九号証の一乃至七及び同第十号証、真正に成立したものと認められる疎甲第八号証、当審証人角山政雄、同近下重行、同原田高一、同高瀬文武、同富本清、同近藤嘉克の各証言並に当審における控訴会社代表者近藤嘉源太の供述を綜合すれば、(イ)控訴会社の主たる事業は醤油の製造販売であるところ、醤油の容器たる樽の製造修理は伝統的な徒弟制度により養成されたいわゆる職人によつてなされる手工業であるため、近代的企業設備による大量生産に適せず、次第に醤油の製造より分離して行く傾向にあつたこと、(ロ)樽の材料である木材(鏡底板)は従来控訴会社所有に係る山林の木材を以て充てていたところ、既に原木を伐り尽したため、木材を他より購入せざるを得なくなり、樽の生産費が高くかかるようになつたこと、さりとて控訴会社が新たに山林を買入れるには資金的余裕がなかつたこと、(ハ)昭和二十九年頃より醤油業界においては瓶詰の需要が急激に増加し、他方樽詰の需要が減少する情勢となり、同業の会社においても次第に製樽工程を廃止する傾向にあつたこと、(ニ)製樽部はこれを会社の一部門として存置するよりも、これを廃して樽の製造修理を請負制にする方が経営者側としては経済的に相当有利であること、(ホ)製樽部従業員が固定給制度の安易さに慣れ、近年仕事の能率が幾分低下して来たこと等の諸事情のため、控訴会社においては既に昭和二十八年頃より製樽を請負制にしてはとの意見が起り、昭和三十年に至つて控訴会社の取締役間において、製樽部門を閉鎖し樽の製造修理を請負制度に切換えるべきであるとの意向が強くなつて来たこと、ここにおいて控訴会社の副社長近藤嘉克は同年十二月十八日富本取締役と共に製樽業者である訴外原田高一に対し製樽請負の下交渉をなしその内諾を得たこと、かくて控訴会社においては昭和三十一年一月十日頃臨時取締役会を開いて製樽部閉鎖を決定し、閉鎖の時期はこれを社長に一任し、更に同月二十四日臨時株主総会を招集して製樽部閉鎖を決議したことを一応認めることができ、控訴会社としては経営上の理由により遠からず製樽部を閉鎖し、樽の製造修理を請負制に切換える方針であつたことは一応これを窺うことができる。しかし他方控訴会社は昭和三十一年一月二十二日製樽部作業場の一部を南の職場へ移動することとし、製樽部従業員に対し人員の配置を定めるよう命じたことは前叙認定の通りであるから、当時控訴会社としては未だ早急に製樽部を閉鎖する意向でなかつたことは右事実に徴し明らかであり、控訴会社の近藤社長が製樽部閉鎖を宣言したのは前記の如く右作業場一部移動を決定した三日後である同月二十五日であるところ、当時控訴会社として経営上製樽部を緊急に閉鎖しなければならぬ必要があつたものとは到底受取れない。凡そ工場の一部門を廃止するということはその所属従業員にとつて死活に関する重大な事柄であり、若し控訴会社において経営上の必要により製樽部を閉鎖し同部従業員を解雇する必要があるものとすれば、事前に製樽部従業員乃至労働組合に対し会社経営上閉鎖を必要とする理由を一応納得の行くように説明し、他職場への配置転換、退職希望の有無或は退職条件等の点につき同部従業員と十分折衝をなし、且つ右の点につき考慮をなす相当の時間的余裕を与えると共に従業員の失業を避けるためにできる限りの努力を払うことが使用者労働者間における信義誠実の原則に照し望ましいところであるところ、控訴会社は本件製樽部閉鎖及びこれに基く同部従業員解雇につき右のような措置を採つたことを窺うに足る資料がなく、控訴会社代表者近藤社長は昭和三十一年一月二十五日突如として製樽部閉鎖を宣言し、本件解雇に及んだものであることさきに認定した通りである。従つて控訴会社としては製樽部を閉鎖することが既定の方針であつたとしても、右製樽部閉鎖及びこれに基く本件解雇が控訴会社主張のような経営上の必要によりなされたものとは未だ認め難いところである。

叙上説示に照し結局本件解雇は被控訴人等が組合活動を活溌にしたこと即ち労働組合の正当な行為をしたことの故を以てなされたものであることが疎明され、かかる解雇は労働組合法第七条第一号によりいわゆる不当労働行為に該当するから無効であつて、被控訴人等と控訴会社との間には従前の雇傭関係が存続しているものと一応認めざるを得ない。

尚控訴会社は、控訴会社としては昭和三十一年一月二日製樽部従業員に対し請負制加入を勧奨し、製樽部を請負制に切換えることにつき十分考慮期間を置いたものであると主張し、成立に争のない疎乙第一、第七号証、当審証人高瀬文武、同黒川三郎の各証言並に当審における控訴会社代表者近藤嘉源太の供述を綜合すれば控訴会社の近藤社長は昭和三十一年一月二日製樽部従業員に対し樽の製造修理を請負制にしたい意向であることを告げた事実を認めることができるけれども、控訴会社が製樽部を請負制に切換えなければならぬ経営上の理由を示して従業員の考慮を求めたことを認めるに足る資料がなく、却て当審における被控訴本人相原右由、同平島幸次郎の各供述を綜合すれば、製樽部従業員は控訴会社側より製樽部が赤字であることをかつて告げられたことはないこと、右近藤社長の請負制に切換える話に対しても何等回答をしない中に近藤社長は同月二十五日突如製樽部閉鎖を宣言したものであることを一応認めることができ、近藤社長が昭和三十一年一月二日製樽部従業員に対し請負制にする意向を告げた事実を考慮に容れても未だ本件解雇の正当性を肯定することはできない。

また控訴会社は、本件解雇当時製樽部以外の職場には十分な人員配置が行われていて、製樽部従業員を受入れる余地がなく、他方製樽部従業員はいずれも多年経験を有する熟練工であつて、その給料も他の一般従業員に比し高額であるため、これを他の職場へ配置転換することは不可能な状態にあつたものであると主張し、当審証人近下重行、同高瀬文武の各証言並に当審における控訴会社代表者近藤嘉源太の供述を綜合すれば、製樽部従業員は専門の技術を有しているため控訴会社の他の部門の従業員よりも幾分賃金が高く且つ待遇も良く、これを他の部門に配置転換することは相当困難な事情にあつたことを一応窺うことができるけれども、会社の一部門を廃止してその部門の従業員全員を解雇するような場合にはさきにも説示した通り当該従業員の十分納得の行く方法が採られるべきであり、本件の場合配置転換が不可能であるからといつて控訴会社が前叙認定の如く突如製樽部従業員全員を解雇したのは解雇の正当性を疑はしめるに十分なものがある。

控訴会社は更に、控訴会社は製樽部閉鎖に伴い同部所属の従業員を一括して解雇し、何等差別待遇を行つて居らず、また製樽部閉鎖直前他の職場より製樽部に転じさせておいてこれを解雇したものでもないと主張する。控訴会社は被控訴人等のみならず被控訴人等以外の製樽部従業員をも同時に解雇したものであつて(製樽部従業員は被控訴人等七名を含めて十一名であつたが、その中主任の黒川三郎は自発的に退職したこと当審証人黒川三郎の証言により明らかである)、製樽部従業員中被控訴人等以外の者は比較的組合活動を活溌にしなかつた者であることが弁論の全趣旨により窺えるけれども、控訴会社はさきに認定したような経緯により製樽部を閉鎖したため組合活動を活溌にしなかつた者等をも特に除外することができず、一様に解雇したものであることがこれまた弁論の全趣旨に徴し窺うことができ、控訴会社が製樽部従業員を一括して解雇したものであるからといつて、被控訴人等に対する解雇理由を前記の如く認定するの妨げとなるものではない。また控訴会社は被控訴人等を製樽部閉鎖直前に他の職場より製樽部に転じさせておいてこれを解雇したものでないこともとより控訴会社主張の通りであるが、本件解雇が前叙認定のような事情の下になされたものである以上不当労働行為の成立を否定することはできない。

これを要するに、控訴会社主張の如く使用者は企業経営上の必要により従業員を解雇する自由を有する点を考慮に容れ、控訴会社の主張事実並にその提出援用に係る疎明資料を仔細に検討しても、本件解雇が前叙の如く一応いわゆる不当労働行為と認められることを覆えすに足る心証を得ることができない。

そこで進んで本件仮処分の必要性につき審按する。

被控訴人等が控訴会社従業員として原判決添付第二表記載の日給及び平均月額賃金を得ていたことは本件当事者間に争がなく、成立に争のない疎甲第十二乃至第十八号証によれば、被控訴人等はいずれも労働者で控訴会社より受ける賃金により主として生計を維持していたこと、被控訴人等は昭和三十一年一月二十六日以降労務を提供したに拘らず控訴会社はこれを拒絶しているので、被控訴人等が本案訴訟の判決確定に至る迄解雇者として取扱われ、その収入の途を絶たれるならば、その生活が脅威にさらされ著しい損害を蒙ることが一応窺われる。従つて被控訴人等は控訴会社従業員としての仮の地位を保全すると共に控訴会社に対し原判決添付第一表及び第二表記載の通り昭和三十一年一月二十六日以降の賃金支払を求める仮処分の必要があるものといわなければならない(被控訴人等は昭和三十一年一月二十六日以降控訴会社より賃金の支払を受けていないことは成立に争のない疎甲第四号証の一乃至六に徴し明らかである)。

控訴会社は、被控訴人大倉康明、同村田喜一、同三木稔は昭和三十一年七月以降花岡昇平漬物製樽所に勤務して八千円乃至一万円内外の月収を得て居り、また被控訴人相原右由は同年十一月頃より上崎和男製樽工場に勤務しているから、同被控訴人等は本件仮処分の必要がないと主張するにつき判断する。当審証人高瀬文武の証言により真正に成立したものと認められる疎乙第十二号証の一乃至四によれば、帝国興信所の調査報告として被控訴人大倉康明、同三木稔、同村田喜一はいずれも昭和三十一年七月頃より徳島県板野郡板野町所在花岡昇平漬物製樽所に勤務し、約八千乃至一万円の月収を得ている旨の記載が見られ、また証人高瀬文武、同斎藤元一及び控訴会社代表者近藤嘉源太は当審において控訴会社の右主張に副う証言または供述をしているけれども、真正に成立したものと認められる疎甲第三十号証、同第三十一号証、当審における被控訴本人大倉康明、同相原右由の各供述を綜合すれば、被控訴人大倉康明、同三木稔、同村田喜一はいずれも昭和三十一年七月頃より前記花岡昇平漬物製樽所に同所が多忙の時のみ臨時手伝として雇われ、一ケ月の中一週間か十日位仕事をなし、一ケ月約二、三千円の収入を得ているに過ぎないこと、また被控訴人相原右由は昭和三十一年十二月より旧暦の年末頃(昭和三十二年一月末)迄の間に二、三日宛計十日間位前記上崎製樽工場において臨時手伝として仕事をしたに過ぎないことを認めることができ、前掲疎乙第十二号証の一乃至四の記載、当審証人高瀬文武、同斎藤元一の各証言並に当審における控訴会社代表者近藤嘉源太の供述は右各証拠と対比してにわかに措信し難いところである。而して賃金収入により生計を維持していた労働者が解雇された場合、右解雇が無効であるとしても復職まで無為に徒過することは到底これを期待することができず、被解雇者が自己及びその家族の最少限度の生活を維持するため自己の労働力により或程度収入の途を講ずることは已むを得ないところであるところ、被控訴人大倉康明、同三木稔、同村田喜一が前記花岡製樽所より得る収入は前記認定の如く少額であり、而もそれは固定的な収入でないことも前叙認定に照し明らかであり、また被控訴人相原右由も極めて短期間前記上崎製樽工場において手伝をなしたに適ぎないこと前記認定の通りであるから、右被控訴人等四名についても賃金全額の支払を求める仮処分の必要は未だ存するものといわなければならない。尚控訴会社は、被控訴人伊音定夫、同平島幸次郎、同本地行夫はいずれも自宅にて樽桶類の賃加工を行い、夫々生活資料を得ているものであるから、同被控訴人等もまた本件仮処分の必要がないと主張し、控訴会社代表者近藤嘉源太は右主張に符合する供述をしているけれども、右供述のみによつては未だ右事実を認めるに十分でなく、他に右事実を認めるに足る疎明がない。従つて控訴会社の主張及び疎明によつては未だ本件仮処分の必要性についてのさきの認定を覆えすに十分でない。

然らば被控訴人等が控訴会社に対する解雇無効確認訴訟の本案判決確定に至る迄、控訴会社に対し仮に被控訴人等を控訴会社の従業員として取扱い且つ被控訴人等に昭和三十一年一月二十六日より同年三月末日迄原判決添付第一表記載の金員並に同年四月一日より毎月原判決添付第二表記載の月額賃金(支払時期翌月五日迄)を各支払うことを求める本件仮処分申請は理由があり、本件仮処分は被控訴人等に保証を立てさせないでこれを許容するを相当とする。右と同趣旨に出でた原判決は相当であるから、民事訴訟法第三百八十四条により本件控訴はこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき同法第八十九条第九十五条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 石丸友二郎 浮田茂男 橘盛行)

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